食事中に息子に言われました。
「母ちゃん、味わって食べてる?」
「へっ!?」
「母ちゃんて食べるの早いよね。あっという間。味わってないんじゃないの?」
「あーそう言われれば・・・んんん・・・・どうだろう?」
日頃、「おいし~」「ん~いい味」など声に出しながら食べてるイメージでいましたが、改めて気をつけてみると大抵そういうのは最初だけ。その後は無心にガツガツ食べていました。
「あなたは味わってるの?」と聞くと
「僕はいつも味わってる。」
「お母さんも味わうってことをしてみるよ」
・・・でもすぐ忘れちゃう、味わうってこと。
なんて余裕のない性格なんだろう!
何度か息子に指摘されながら、ようやく昨日意識して味わうことができました。味わうというより味わっている自分を分析しているみたいな、理科の実験をしているみたいな変な感じではありましたが。
それでも気づきましたよ。
香りって湯気にのって漂ってくる香りと、口に入れて噛みしめたときに体の内側から外に抜けていく香り(風味かな)とあって体感が全然違うこと。
温かいものを口の中で転がしながら、ほどよい温度で飲み込むのと、
冷たいものを口の中に行き渡らせて、少し温めてから飲み込むのとは刺激を受ける場所が違うこと。
少しずつ飲み込むのと、いっきにゴックンと飲み込むのとではのどごしが別物で美味しいと感じるポイントもそれぞれだ、とかね。
五感が受ける刺激を楽しみそこに浸るって誰でも平等に持っていることのはずなのに私はたまにしか活用していなかったようです。
あと!面白いことに情景とも結びついていました。
ある味や香りで、ふと引き戻されるというかよみがえる感覚があるのです。あー今なんかたまらなく幸せ~って。
で、よくよく考えてみるとこの満ち足りた感じは今の幸せももちろんですが、昔感じたことがある幸せにも繋がっている気がするのです。
この、ノスタルジックな感じは何だろう?あ、小さい頃家族で屋台のラーメン食べてるときの感じだという風に。
そしてその時の感覚に今も包まれる。
幸せが心に満ちてくる小さい頃や思い出の中の感情の動いた場面のイメージに。
だから好きな食べ物って「好き」がどんどん強化されていくのかな?
「食べる」って自分が思う以上に楽しみや幸せを感じる感覚と(そして不幸せの感覚とも)すごく結びついている行為なんだろうなあとしみじみ思う11月のスタートでした。